今朝は、新琴似六番通りの交差点をお借りしての朝の街頭演説でした。
昨夜からの天気予報で大荒れな週末を覚悟していましたが、強い風こそついていたものの雲の合間に青空が垣間見える朝となりました。
寒さは相変わらずです^^; それでも「北の元気玉」ハリキって活動継続中です。
最近、朝に街角で声を掛けられる話の内容で「ちゃんと我慢を教えなければならない」というご意見が一番多いことに胸打たれる思いをしています。
現代の私たちは快適で便利な生活を送る上で、ついつい「我慢」を忘れがちであることを知らなければなりません。
父さんや母さん、爺ちゃんや婆ちゃんの時代に当たり前に「我慢」されていらっしゃった多くのことを、今を生きる私たちは知っておかなければなりません。
技術革新で新たな道具や選択肢を手にした私たちが、その時代に戻らなければならないと主張しているのではありません。
私たちは知らず知らずのうちに、余りに多くのものを求め過ぎている一面があるのではないかと危惧しているのであります。
個人主義や自由主義の名の下で自己主張がまかり通る昨今においては、大切な何かを忘れ置いてしまっていることが気になっています。
近い将来、それはほんの四半世紀後には、私たちが暮らす北海道ではビックリする程に人口が減り、伴って経済力や消費量、生産力が衰退していると確実視されています。
それでも尚、私たちは勿論のこと、子供たちや未来の為に、たとえそれがカラ元気であったとしても、歯喰いしばって我慢しなければならないことであっても、胸張って誇りを持って暮らすことの出来る「私たちの北海道」を繋いでいくためにも、私たちは「その変化」を受け入れていかなければなりません。
景気回復についても同じことが言えるのではないでしょうか?
ここにまで規模が大きくなっている日本の景気動向が、2年や3年で全国に伝播し、隅々にまでその浮揚感が行き渡ることは難しいのだと考えています。
テレビや新聞報道などで「なかなか実感しにくい景気回復」と称し、自虐的に北海道の立ち遅れを誹謗される道民の皆さまの声を知ることがありますが、実際にはそんなことはないのです。
札幌市では57億円もの税収増が確定しているところでもあり、北海道においても来道者数などの増加傾向は顕著なものとなっているのが「真実」なのであります。
私たちは私たち自身の足元を、私たち自身の努力に見合ったものを求めるべきなのではないでしょうか?
それは社会保障や税金負担、公共サービスにまで至り、誰かが一方的に与えてくれることが当たり前だと、「我慢」が足りぬことを知らなければならないのだとも考えています。
決して「我慢」を強要しているのではありません。
誤解を恐れずに書かせていただくならば、私たちの目指す「北海道」や「札幌」の未来像を明確に共有した上で、それに足る努力を積み重ねなければいけないのだと考えています。
もはや未来は、誰かが勝手に用意してくれるものではありません。
それは「まち」や「地域」についても同じなのであります。
そこに暮らす者として、今を生きる道産子として、未来の道産子に対する責任を果たさなければならないのではないでしょうか?
北海道に残されている時間はそう長いものではありません。
先送りにすることは絶対に出来ません。
そうなんです。それでも私たちは再興への「道」をしっかりと今から進めなくてはいけないのです。
わたくし、道見やすのりは、勇気と誠意をもって「真実」を語って参ります。
北の元気玉 道見やすのり拝