【報恩講】 浄土真宗では、親鸞聖人の祥月命日の前後に報恩謝徳のために営まれる法要です。
私の実家では、毎年この時期になると決まって行われてきた法要です。
娘2人が東京へ引っ越しているために一家揃ってのお勤めは出来なくなってしまいましたが、今年も少ないながらも無事に勤めさせていただきました。来年の春には末娘も東京へ進学が決まっているためにまた一人減ってしまうのが寂しい限りです。
これは親父の代でも、祖父の代でも、、、先達各々が大切にしてきた法要であることを子供の時分から感じてきたものであります。よく親父から「信心は世襲だ」と言われて育ったものです。
少なくとも自分の子供たちに、この気持ちが相続できているのか少し心配ではあるところですが、何が大切であるかは口を酸っぱくして言い聞かせてきたつもりですから、そこは娘たちを信じるしかないようです(^^;
何年か前から「門徒さんで報恩講を営まれるお宅が無くなってきて」とはお聞きしていましたが、実家がお世話になっている北支院ではついに一軒だけになってしまったとのこと。
今年のお説教では「昨今お葬式や年忌参りも簡略化が進み、寂しい限りです」とのお話しでした。
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いまの私があるのには、星の数より多くのご先祖様によって生かされていることを深く感じるところでありますし、それを含めてこの報恩講は、49年の間にお世話になってきた多くの方々に感謝をさせていただく機会でもありました。
北海道議会議員とならせていただき多くの葬祭に参列させていただくことが多くなりましたが、いずれの葬祭であってもご先祖様となられた故人にご冥福をお祈りし感謝の念を申し上げると共に、これからの北海道を見守っていただけますようにお願い申し上げている次第であります。
いままでも、これからも、多くの開拓者によって切り拓かれた北海道を、多くの皆さまに楽しんでいただける輝ける大地して繋いでいくことが出来るように、微力ながら働いて参りたいと強く決意することが出来た一日となりました。
北の元気玉 道見やすのり拝